民法819条(単独親権制度)改正を求め共同親権・共同監護制度の導入・ハーグ条約締結の推進と活動を行っています

トピック

「共同親権」の展望(下)出遅れた研究 早川昌幸(新城通信局)

出典:令和元年7月14日 中日新聞

「共同親権」の展望(下)出遅れた研究 早川昌幸(新城通信局)

「共同親権」問題を含む親子の心理の追跡研究は、欧米で古くから進む。子どもの「人格発展権」を尊重するドイツでは、連邦憲法裁判所が一九八二年に「離婚後の例外なき単独親権は違憲」と判示した。
 米国の研究では、離婚は子どもに心理的不適応を引き起こし「重大なリスクになる」との報告がある一方で、共同監護で世話をした子どもと親の離婚を経験しなかった子どもとの間で、精神疾患の割合に大きな差異はない、とも報告されている。

 棚瀬一代さん(二〇一四年、七十一歳で死去)は、大学教授、臨床心理士として米国カリフォルニア州などで共同監護の実態に接し、傷ついた子どもの心の深層をつぶさに見てきた。その経験を日本に戻って実践した。「心のよりどころだった」と振り返る当事者も多い。

◆子に与える傷を浅く
 「離婚そのものが、子どもに心的外傷(トラウマ)を与えるわけではない。その後に両親がわが子のために賢明な選択をしていけば、子に与える傷を小さくできる」
 一代さんと十代で出会った夫の孝雄弁護士(76)も、「共同親権」実現をライフワークにした。「日本は欧米に比べ、この問題で完全に出遅れた。取り組みを進める人材を育成し、少しでもグローバルスタンダードに近づけなければ」という亡き妻の主張を代弁する。幾多の反対意見をものともせず活動を続けた二人の存在は国内では希少だという。
 東京都港区に住む国際・国内線パイロットの男性(47)も当事者の一人。妻は昨年暮れ、保育園児の長男(5つ)と長女(3つ)を連れて家を出て行き、現在は共同監護などを求め、東京家裁で審判中。離婚訴訟も近く始まる。男性は勤め先の理解もあり、フライトを減らして子育てや園への送迎、通院に積極的に関わってきた。そのためか二人の父親への愛着は強い。録音とともに家庭裁判所に提出した陳述書に目を通すと、男性の切ない思いが伝わってくる。
 四月の夕刻、同居していたころに遊ばせていた公園で母子と出くわした際の記録だ。駆け寄ってきた子どもたちは「パパの家に帰って一緒に過ごしたい、一緒に泊まりたい、朝はパパと保育園へ行きたい」と、母親である男性の妻に泣き叫びながら、必死に訴え続けたという。妻の激しい文句が始まった。
 妻「こんな強行するような!」
 男性「強行なんかしない、強行したのは、あなたでしょ」
 妻「違う」
 男性「連れ去ったんでしょ」
 妻「今一緒に暮らしてるのは私でしょ」
 男性「連れ去ってね」
 妻「どうしたらいいの、じゃ!」
 子煩悩な男性は「週三日でも面倒をみたい。子どもを元の環境に戻したい」と願い、「子どもと人生を過ごすために生きている」と話す。子どもが通う区立保育園が保護者への行事案内を男性に送ってこなくなり、園内での接触も制限されたため、「妻と同等に扱われていない」と区に訴え、ある程度改善された。
 代理人弁護士は「これほど父親を慕うのはレアなケース」と驚く。同じ立場の男性の知人は「子煩悩な親ほど心のバランスを崩すことが多い。家裁に抗議して自殺を図ったケースも聞く」と気遣う。

◆腰が重い政治、行政
 男性による支配・差別が問題視された「家父長制」を乗り越えて女性の社会進出が当たり前になったことで、子どもの監護を巡る紛争が激増したのは、時代の流れかもしれない。上川陽子前法相は「家族の在り方が変化している」として共同親権の導入に一定の理解を示した。各国から批判が相次いでも事態が進展しない背景には、反対意見やしがらみへの配慮、行政事務の作業が煩雑になることへの警戒など、政治や行政の消極姿勢があるのではないか。
 一方で、司法の世界でも日本の後進性を危惧する声があった。最高裁家庭局の元調査員は、論文で「困難な事件の解決について、米国の実践から学ぶ点は少なくない」と指摘。夫婦の対立が激しいケースでこそ、第三者が子どもの立場に立って共同監護に導く必要性を説くが、日本の家裁はそんな先進国の標準にほど遠いのが実情だ。
 孝雄弁護士が「私のバイブルです」と語る国連の「子どもの権利条約」(一九八九年十一月二十日署名、九〇年九月二日効力発生)の九条三項に、こうある。
 「締約国は、児童の最善の利益に反する場合を除くほか、父母の一方又は双方から分離されている児童が定期的に父母のいずれとも人的な関係及び直接の接触を維持する権利を尊重する」
 子どもの立場になれば当たり前のこと。これ以上、放置すべきではない。

<当会からのお願い>
7月7日及び7月14日に掲載された中日新聞の記事について、感想あるいは今後の掲載要望などご意見を下記の中日新聞編集局宛に送信頂けましたら幸いです。
genron@chunichi.co.jp

「離婚をしても親はふたり」子どもを私物化しない共同養育のススメ

出典:令和元年7月13日 AERA

「離婚をしても親はふたり」子どもを私物化しない共同養育のススメ

 ひとり親という言葉があるが、亡くなったのではなく離婚をした場合の表現としては、実はおかしい。離婚をしても、子どもにとって親はふたり。子どもはどちらの親からも愛されて育つ権利があるはずだ。

 しかし、現状では両親の離婚後、一緒に暮らしていないほうの親と子どもが定期的に面会をしているのは、母子家庭で約3割、父子家庭で約4.5割(厚生労働省 平成28年度全国ひとり親世帯等調査結果報告より)。面会交流をしていない理由は様々だが、母子家庭の場合はとくに「相手とかかわりたくない」という答えが目立つ。そう、多くの子どもたちが、親同士の感情のもつれから、片親との交流を奪われているのである。

 しばはし聡子さんも、以前は「元夫とかかわりたくない」ために、子どもと父親との面会交流に消極的な親だった。

「4年前に離婚したとき、息子は10歳。息子から父親を奪うつもりはありませんでしたが、まだ小学生だったので、親同士が連絡を取り合わないと会わせることができません。でも私は、離婚時に揉めたトラウマから元夫とかかわるのが苦痛で、あまり積極的にはなれませんでした。息子に『パパに会いたい?』と聞き、いま思えば私に気を使って『別に』と答えたのをいいことに、『とくに会いたくないみたいですけど』と、元夫に伝えたりもしていました」

 しかし、離婚という辛い経験を無駄にしたくないと始めた勉強会で、離婚後の子どもの面会交流についての知識を深めるうちに、離婚をしても子どもは両親のどちらともかかわるべきだと考えるようになった。「両親のどちらからも愛されている」と実感できることが、子どもの気持ちを安定させる。そこで振り返ってわが子を見てみると、父親に会いたいと言えない子どもにしてしまっていた。

「このままではいけないと思い、自分から元夫に『来週、息子をごはんに連れて行ってあげてください』とメールしました。何をいまさらと言われることも覚悟しましたが、元夫は『喜んで!』と返してくれました。そこからするすると気持ちがほぐれ、息子をはさんだ親同士として元夫と連絡を取り合うことに、まったく抵抗がなくなりました」

 そんな親の変化を感じてか、息子は父親に会いたいという気持ちを隠さなくなった。会った後は「こんなものを食べたよ」「こんな話をしたよ」などと、うれしそうに父親の話をしてくれるようにもなった。

「私との間で父親の存在がタブーではなくなり、家の中が明るくなりました」
  
 中学生になってからは、自分が会いたいときに自由に父親に会いに行くようになり、泊まってくることも増えた。しばはしさんももちろん、快く送り出している。男親ならではのかかわりは、思春期真っ只中の子育てにはむしろありがたい。

「離婚をしても親はふたり。離婚後も両親が子育てにかかわる『共同養育』は、息子にとってはもちろん、私にとっても元夫にとっても、よいことだと実感しました」

 この経験を踏まえ、しばはしさんは「共同養育」普及を目指し、一般社団法人りむすびを設立。離婚相談や面会交流支援などを行なっている。

■離婚によるダメージを最低限にできる「共同養育」

「私が考える共同養育とは、子どもが両親の顔色を見ずに素直な気持ちで『お父さんに会いたい』『お母さんに会いたい』と言えたり、自由に行き来したりできる環境を、親同士が協力し合ってつくっていくことです。その環境さえあれば、たとえ親同士が直接顔を会わせることができなくても、共同で養育していると言えると思います」

 共同養育のメリットは、子どもがどちらの親からの愛情も変わらず受けられることで、離婚によるダメージを最低限にできることだ。

 子どもがいるならできれば離婚は避けたいけれど、夫婦が破綻してしまったのなら仕方がない。離婚をしても共同養育者として子どもをはさんで新しい関係を築き、子どもが両親のどちらからも愛されていると感じられるようにできるなら、仲が悪い夫婦の姿を見せるよりむしろよいだろう。

「なかには、離婚は自分のせいだと思って苦しむ子どももいます。共同養育を行うことで、離婚はあなたのせいじゃないよ、と伝えることにもなるんです」

 共同養育は、子どもだけではなく親にもメリットがある。子どもと同居している側の親にとっては、ワンオペ育児からの解放。子どもが元夫(妻)と会っている間、自由な時間がもてるし、何か買ってもらったり食べさせてもらったりすれば、家計も助かる。

「離婚をしたからといって一人で子育てを背負おうとはせず、相手のマンパワーも活用することで、時間にもお金にも精神的にも余裕が生まれます」

 自分に万が一のことがあったときの、リスクマネジメントとしても有効だ。いざというとき、これまでほとんど会っていなかった元夫(妻)に子どもを託すのは不安でしかないが、交流していたのであれば少しは気が楽だ。

「子どもと別居している側の親にとっても、血のつながった子どもとかかわれることはうれしいはず。また、会っている、会っていないに関係なく養育費は当然の義務ですが、子どもの成長を目にしていれば、責任感は高まるでしょう」

 さらに「共同養育」は、社会的な課題を解決する糸口にもなる。最近、親のパートナーによる連れ子に対する虐待などの事件が頻発しているが、それを避けるためにも子どもの実親というもう一つの目が入ることは大切だ。

■「共同養育」があたりまえの社会に

 しばはしさんの願いは、「共同養育」があたりまえのこととして広まることだ。

「『離婚をしても親はふたり』と伝えると、たいていの人は『そりゃあそうだよね』って言うんです。でも、自分が当事者になった途端に忘れてしまう。相手に対する嫌悪感や憎悪感から『私の子どもをなんであんな奴に会わせないといけないの』と」

 しかし、そうして子どもを私物化し、ひとりで抱え込むことには弊害しかない。「ひどい親だから」と会わせなければ、子どもはひどい親だと思い込んで育つ。ひどい親かどうかを判断するチャンスも与えられないのは、子どもにとってどうなのか。子どもに対する暴力などの場合を除いては、どんな親でも子どもにかかわり続けていくべきだ。

「どうしても離婚が避けられないなら、子どもが不幸にならないようにしてほしい。そのためにも『共同養育』があたりまえの社会になってほしいと思っています」

(文/上條まゆみ)

「共同親権」の展望(上)迷走する議論 早川昌幸(新城通信局)

出典:令和元年7月7日 中日新聞

「共同親権」の展望(上)迷走する議論 早川昌幸(新城通信局)

離婚したことで、わが子と会えない親が「面会交流」を求め、家庭裁判所に調停や審判を申し立てる件数が、増加の一途をたどっている。日本は離婚後、両親のどちらかが子どもの親権者となる、先進国で数少ない「単独親権」制度。子どもの利益を優先する観点で「共同親権」制度を立法化する動きはあるが、なかなか進まない。
 妻による子の「連れ去り」の当事者で、「共同親権」実現を目指す市民団体「チルドレン・ファースト」の会社員の男性(53)は「一番の被害者は子ども。これまでの議論には“子ども目線”が欠けていた」と訴える。「会えないことで愛情を受けられないと情緒が安定せず、その子どもだけでなく、次の世代にも負の連鎖をもたらしかねない」と、他のメンバーと警鐘を鳴らし続けてきた。

◆「単独親権」は少数派
 東アジアの中で、現時点で単独親権を規定し、父母双方でケアする共同親権を選択できないのは、モンゴル、北朝鮮、日本の三カ国だけ。今年は、親子不分離などを定めた国連の「子どもの権利条約」が生まれて三十年、日本が批准して二十五年の節目。結婚の破綻で子どもを国外へ連れ去った場合のルールを定めた「ハーグ条約」を、日本は二〇一三年にようやく批准し、関連法も翌年から施行されたが、共同親権の導入はいまだに実現していない。
 今年二月に国連から再度、法改正を勧告され、昨年三月には欧州連合(EU)の二十六カ国からも書面で抗議を受けた。海外メディアは、片方の親による子の「連れ去り」や「引き離し」に対し、「日本は拉致大国」と報道してきた。馳浩衆院議員(自民)らを中心とする超党派の国会議員連盟が共同親権の立法化を目指してきたが「親子断絶防止法案」「共同養育支援法案」など、法案の名称の段階で迷走し、法制化のめどが立っていない。
 家裁で子どもとの面会が取り決められたのに、回数が制限されたり、守られなかったりするケースは多いが、法的な罰則はない。別居する子どもが面会を拒むケースも少なくない。
 愛知県三河地方で和食店を営む男性(40)は、家裁の調停員に「面会は月一回程度。会い方は双方で話し合って」と促された。ところが、現在は中学二年の長女と小学二年の長男に会えたのは、入学式直後の一回だけ。元妻の言い分は「二人とも新生活が始まったばかりなので、そっとしておいて」だった。養育費を支払い、連絡を取りたいと長女にスマートフォンを買い与えたが発信に全く出ず、会員制交流サイト(SNS)はブロックされた。
 子どもが同居して世話をする親の影響を受けて顔色をうかがい、片方の別居親との交流を拒絶する状態を「片親疎外」という。正当な理由なく、片方の別居親との交流を拒絶するケースもこれと同じだ。児童心理学の専門家は「子どもの思いへの共感力の欠如から、親が子どもを自分の思いで支配し、服従させてしまう行為で、心理的虐待に該当する」と指摘する。
 子ども自身の考えのように見える面会拒否も、実際には同居親に気を使っていることも少なくない。「月一回だけでも会って元気であることを確かめたいし、店の料理を食べさせたい。とにかく親権が欲しい」。男性だけでなく、子の祖父母らも面会を望んでいるという。
 法務省は、安倍晋三首相の指示を受け、共同親権の導入可否の検討に入った。依然として異論も根強いが、外務省を通じて七月末までに二十四カ国の制度を調査し、問題点を整理する。
 二月の衆院予算委員会での論戦で、安倍首相は「もっともだという気もする。子どもはお父さん、お母さんに会いたい気持ちだろうと理解できる」と述べた。首相としては初めての見解。その談話を引き出した串田誠一議員(日本維新の会)は「超党派連盟は全く応援してくれなかったが、ターニングポイント(転換点)になる」と確信する。

◆面会交流で元気戻る
 長年、夫婦でこの問題に取り組んできた棚瀬孝雄弁護士(75)は、五年前に七十一歳で他界した臨床心理士の妻一代さんが「ほとんどの子は離婚してほしくなかったと思う。別れて住む親への思慕の念を抱き続けている」と語った言葉を心に刻む。一代さんは、東京・新宿に開設したカウンセリングルームで、悲しみと無力感にうちひしがれていた子どもが、面会と面接を組み合わせるセラピーで元気になり、子どもらしさを取り戻していく様子を見守った。
 家族法の専門家は「別居後の継続的な面会交流が子どものために必要という認識を社会が共有し、面会実現を義務付けるルールが求められる」と話す。もともと他人同士である夫婦の問題と、血のつながった親子の問題は切り離して考えなければいけないのは、当然のことだ。子どもの将来を最優先にした社会に一日も早く、と願う。

注目集める共同親権 親権求める父親増加 共同なら離婚後も交流続く G7、「単独」日本だけ”

出典:令和元年6月24日 東京新聞

注目集める共同親権 親権求める父親増加 共同なら離婚後も交流続く G7、「単独」日本だけ”

※本文は記事を参照ください。

共同親権 生き別れ防げ 国際的には「単独」が例外

出典:令和元年6月23日 東京新聞

共同親権 生き別れ防げ 国際的には「単独」が例外” [#t6aaf62a]

年間二十一万人余の子が親の離婚を経験する日本。未成年の子を巡る両親の親権争いはしばしばドラマなどになってきた。そんな状況が変わるかもしれない。離婚後も父母で親権を持つ「共同親権」の導入を法務省が検討し始めた。離婚後に親の一方が親権を失う現行の制度は、離れて暮らす親と子が生き別れる原因になっているからだ。配偶者から家庭内暴力(DV)を受けた被害者を支援する人などから異論はあるものの、見直しを求める声は強い。 (佐藤直子)

※以下、記事を参照ください。

秋田女児殺人事件 娘を母親に殺害された父親が行政を訴えた理由 「助けられたのではないか…」

出典:令和元年6月10日 TABLO

秋田女児殺人事件 娘を母親に殺害された父親が行政を訴えた理由 「助けられたのではないか…」”

愛実ちゃんが小学校に入学したとき

2016年6月秋田市で9歳の女の子、千葉愛実ちゃんが母親の祐子(43)によって首を絞められて殺害された。
児童養護施設から母親の住むアパートに一時帰宅していたときのことだ。2泊後の夕方、愛実ちゃんが施設に戻るはずだった。しかし確認が遅れ、警察ががアパートに踏み込んだとき、祐子は意識不明、愛実ちゃんはすでに息絶えていた。2018年3月に最高裁で祐子は、殺人の罪で懲役四年の判決が確定。現在、服役中である。

この事件に関して父親である阿部康祐さん(46)は、6月7日、秋田県や秋田市を相手取り、損害賠償を求め、秋田地裁に提訴した。
母親が娘を巻き添えにして心中しようとしたことで、なぜ父親が行政側を提訴したのか。養育能力に欠ける母親に代わってなぜ父親が子供を引き取らなかったのか。母親に養育能力がなければ子供を引き渡さないのではないか。
この事件を取材し、今も阿部さんと連絡を取り合っている筆者、西牟田靖が、事件の概要や提訴の意味について、記してみたい。

わが子に会えずじまい

阿部康祐さんと祐子は、今から10年前の2009年、愛実ちゃんが2歳のときに離婚している。それから亡くなるまでの7年間、阿部さんと愛実ちゃんはほぼ会えずじまいであった。
離婚前のことだ。夫婦関係が破綻し、一人となった阿部さんが離婚調停を起こした。もめたのは愛実ちゃんの親権だった。というのも日本では諸外国のスタンダードである離婚後も共同親権ではなく、離婚後単独親権となるからだ。
調停の場で阿部さんは主張した。
「(精神疾患があり、家族との縁をほぼ絶って暮らす)妻に愛実は育てられないだろう。こちらには面倒を見る人はたくさんいる。それに私自身、回復次第働ける』と」
しかし親権は祐子側に認められてしまう。というのも日本の調停や裁判では、一緒に暮らしている方が有利という「継続性の原則」があったり、「母性優先」という考えがとても強かったりするのだ。
親権を諦めざるを得なかった阿部さんは、祐子側が提案してきた「月一回の面会交流」を呑んで調停を泣く泣く決着させる。
ところがその後、その取り決めは完全に反故にされた。「インフルエンザが流行っているから」などと、その都度もっともらしい理由を出され、会わせてもらえなかったのだ。
3人で住んでいた家に荷物を取りに行く名目で訪ねるも、祐子に警戒され、引っ越しされてしまう。心配した彼は元義父に頼んで新しい住所を教えてもらい、手段を講じる。
引っ越し先である大仙市役所へ行ったり、探偵社へ捜索をお願いしたり、幼稚園や地域の民生委員に見守りをお願いして回ったり……。さらには元義父にお願いして教えてもらった住所に「面会させて欲しい」と記した手紙を送ったりもした。

手紙を出したことが祐子の被害妄想を刺激したのか、対抗措置をとられてしまう。「家庭内で暴力を受けていた」という虚偽の申出を大仙市役所に出され、住所にブロックがかけられてしまう(DV等支援措置)。さらには「ストーカー被害に悩まされている」と警察に被害届を出されてしまう。こうしたことにより、阿部さんは愛実ちゃんとの縁を完全に絶たれてしまった。
一方、祐子は精神疾患を悪化させたことから、当時移転していた秋田市の児童相談所に「娘を預かって欲しい」と連絡。その結果、愛実ちゃんが4歳のとき、児童養護施設に預けられることになった。
このとき児童相談所は祐子の「夫はDV加害者でストーカーなのでくれぐれも連絡しないで」という話を精査せず鵜呑みにした。
施設の人たちは愛実ちゃんを大切に育てたようだ。入所した当時はコミュニケーションが下手で感情をあらわにすることがあったが、次第に落ち着き、女の子らしいかわいい少女へと成長していきつつあった。
ところが愛実ちゃんが9歳になった2016年の6月の一時帰宅の際、愛実ちゃんの人生はそこで終わりを迎えてしまう。事件が起こってしまったからだ。

失われなかった命ではないか

愛実ちゃんが亡くなってしまった原因はもちろん祐子が殺してしまったからだ。ただその途中で歯止めがきいていれば、失われなかった命だったのではないか。
もし日本がほかの大多数の国のように、離婚後単独親権で離婚しても共同で子育てをすることが当たり前の国ならば、事件は起こらなかったかも知れない。

とはいえ制度は簡単には変えられない。しかしそれでも途中で行政側の取り扱いがもう少し丁寧ならば、、、と思えてならない。
もし、面会交流が無事に行われていれば、
もし、大仙市役所が住所のブロックに慎重になっていれば、
もし、大仙市と秋田市の児童相談所が連携できていれば、
もし、秋田市の児童相談所が父親に話を聞き、児童養護施設に事情を伝えていれば、もし、一時帰宅の際、施設へ帰らなかった後、翌日の夕方ではなく、すぐに安全を確認できていれば、
いくつもの「もし」が頭に浮かぶ。
しかし実際のところは、本来もっとも弱い子どもたちを守るべき、児童福祉法やDV防止法、DV等支援措置といった仕組みが行政側をがんじがらめにしてしまい、愛実ちゃんの命を奪う遠因となってしまった。こんな皮肉なことはない。
「児童相談所が母親に養育能力が欠けていたと認識しながら、親権の停止を申し立てず、月1回の愛実さんとの面会をさせなかったなどとしている。阿部さんは、7日児童相談所を所管する県と秋田市、それに大仙市を相手取り8000万円余りの損害賠償を求め、秋田地裁に提訴した」(秋田テレビ)https://www.akt.co.jp/news?sel=20190607-00000005-AKT-1
阿部さんは話す。
「娘が殺されてしまって私にはもう失うものは何もありません。しかし私は世の中を変えたいんです。会わせてもらえずに辛い思いをしている人を一人でも減らしたいですし、みなさんには私のようになってほしくないんです。このままでいいのかということを裁判を起こすことで世の中に問いかけたいと思っているんです」

千葉愛実ちゃんが父親である阿部康祐さんとの縁を絶ち切られていなかったらこんなことは起こらなかったに違いない。嘘のDV主張を鵜呑みにし、阿部さんを遠ざけた行政側によってこの殺人は引き起こされてしまったとも言える。
この事件に関わってきた私も、この裁判が、制度が変わるきっかけになればと強く思っている。何の非もない女の子が無残にも殺されてしまう。それを助長するような法律は変えるべきだし制度も変えるべきだ。(写真・文◎西牟田靖)

妻のDVに苦しむ夫は意外と多い。殴られて救急搬送された夫が語った“恐怖”

出典:令和元年5月31日 女子SPA¡

妻のDVに苦しむ夫は意外と多い。殴られて救急搬送された夫が語った“恐怖”

 昨年、“エリート銀行員が妻を殺害し、母親が死体遺棄を手伝った事件”が前代未聞だと話題になったのを覚えているでしょうか?

 この事件の裁判での夫に対する被告人質問で語られたのは、妻からの家庭内暴力です。「顔面殴られたり、髪をつかまれたり、引きずり回されたり、100回以上ありました。土下座するわたしの頭を蹴りました。もう限界だと思いました」と証言した夫。

 もちろん夫側だけの証言だし、それで殺人が許されるわけはないのですが…。

 男女関係や不倫事情を長年取材し著書多数のライター・亀山早苗さんが、妻によるDV事例についてレポートします。(以下、亀山さんの寄稿)

妻の暴力に苦しむ男は少なくない?

 千葉県柏市で妻を殺害し、遺体を母親とともに実家の庭に埋めた罪に問われている元銀行員の男が、29日の裁判で「家庭内での妻の暴力や暴言がひどかった」と証言している。

 離婚を切り出したら、幼い娘とともにマンションの屋上へ駆け上がり、飛び降りて死ぬと脅したりもしたようだ。強迫神経症を患っていたらしいが、妻も夫も追いつめられていたのだろう。

 平成29年度の内閣府「男女間における暴力に関する調査」によれば、配偶者から身体的暴行、心理的攻撃、経済的圧迫、性的強要の4つのうち、ひとつでも受けたことがあると答えたのは女性で4割強、男性はほぼ2割(*)。

 あまり問題視されないが、女性から男性への暴力も決して少なくないのだ。

(*)配偶者からの身体的暴行、心理的攻撃、経済的圧迫、性的強要のいずれかの被害

参考 内閣府男女共同参画局「男女間における暴力に関する調査 配偶者からの暴力の被害経験」(平成29年度調査)

 実際に、妻からの暴力がひどくて離婚したと語ってくれた男性がいる。サトシさん(47歳)は、調停や裁判を経て4年前、ようやく離婚できた。結婚前から神経質な女性ではあったが、妊娠をめぐってそれが加速した。

「私が30歳、妻が28歳で結婚しました。なかなか子どもができず、妻は思い悩んでいました。私は子どもがいなければいないでもいいと思っていたんですが、どうしても子どもがほしい、と。

 ようやく妊娠したのは4年後。今思えば、あのころから彼女はかなり神経過敏になっていましたね。流産するのではないかと恐怖にかられ、家の中のことはほとんどしなかった」

 サトシさんは外資系企業に勤めていて海外とのやりとりが多く、帰宅が遅くなることもあった。なるべく早く帰って家事をやるよう心がけていたが、どうにもならないときは妻の母に応援を頼んだ。

「ある日、どうしても仕事で会社に泊まらなくてはならないことがあったんです。疲れ果てて、朝やっと家の玄関を開けたらいきなりグーパンチが飛んできた。脳しんとうを起こして救急搬送されました」

 妻はどうやら浮気を疑っていたらしい。一晩、悶々とした結果がグーパンチだった。妻の不安はわかるが、いくらなんでもやりすぎだろうとサトシさんは将来に不安を覚えたという。

子どもが生まれた後も妻は神経過敏

 息子が生まれてからも妻の神経過敏は続いた。もちろん病院に連れていったこともあるが、結局は、「子育てのストレスですから、手伝ってあげてください」と言われるだけ。

 サトシさんは自分ができることは何でもやった。たとえ睡眠不足になっても子どものことに関しては手を抜かなかったという。

「妻の母親もよくうちに来て手伝ってくれていましたから、今でいうワンオペではなかった。それでも妻にとってはストレスがあったんでしょう」

 家に帰ると、出前でとった鮨桶(すしおけ)や取り寄せたらしい高級メロンの箱などがよく台所にあった。

 サトシさんはまったく食べていない。おそらく妻が母親と食べたのだろう。だがそれで少しでもリラックスできるならそれでもいいかと思い、彼は言及しなかった。

子どもの身体にアザを見つけた

 時間があればサトシさんは息子と遊ぶようにしていた。だが、平日はなかなか早くは帰れない。

 週末、彼が息子を風呂に入れようとすると、「今日は風邪気味だから入れないで」とか、「さっきあなたがちょっと出かけているときにもう入れた」などと言う。

 おかしいなと思い、ある日、早く帰れたので妻の制止を振り切って息子を風呂に入れた。背中に生々しいアザがあった。息子が2歳のころだ。

「ママにぶたれたの?と聞いたら、息子の表情が固まったんです。あんなに小さいのに言っていいかどうか考えている様子なんですよね。不憫(ふびん)でたまらなかった」

 妻に尋ねると、「昨日、外で遊んでいて背中から転んだ」という。背中から転ぶ状況を説明してもらったが彼には納得できなかった。

何もかもがおかしくなっていた

 その間も、何か気にくわないことがあると妻はサトシさんに暴力をふるった。多くは彼が妻の手をつかんでやめさせたが、そうすると今度は大声で怒鳴り続ける。息子はおびえて泣いた。

「家に帰る時間が5分遅れると、妻は『死んでやる』と脅す。謝ると土下座しろという。息子のためにも平穏な時間がほしいから、土下座するしかなかった」

 もちろん、話し合おうとしたことも何度もある。

「何が不満があったら言ってほしいと何度も言いましたが、妻はとにかくすべてがイヤだと。こんな生活はしたくないというから、じゃあ離婚しようというと『あなたは私を捨てるのね』と号泣する。

 お義母さんとも話しましたが、お義母さんはまったく彼女のおかしさに気づいていない」

 あとからわかったことだが、義母は娘からお金をもらって妙な新興宗教に貢いでいたらしい。何もかもがおかしくなっていた。

家の中に隠しカメラをつけて

 その後、サトシさんは家の中に隠しカメラをつけた。妻はやはり息子に暴力をふるっていた。

 彼は即座に3歳の息子を連れて家を出ることを決意した。妻に預けていた預金通帳を探し出すと、預金はほとんどなかったという。

「それなりに稼いでいたんですよ。だけどほぼゼロ。妻のクローゼットを見たらブランドもののバッグが使った様子もなく、値札がついたまま並んでいる。

 それを売り払うしかないと思って全部車に積んで、とりあえず友人宅に避難しました」

 翌日、妻が友人宅へやってきて、大騒動になったという。彼はすぐにマンションを借り、子どもは昼間、近くに住む妹宅に預けた。

 オートロックの妹宅のマンションに妻が入り込んで騒ぎになったこともある。

「妹夫婦が身体を張ってうちの息子を守ってくれた。それは感謝しています」

「いちばん怖かったのは、子どもを人質にとられていること」

 彼が息子を迎えに妹宅へ行ったとき、隠れて待っていた妻から襲撃を受けたこともある。それでも彼が警察沙汰にしなかったのは、「息子の母親を犯罪者にしたくなかったから」だという。

 彼は弁護士をつけ、離婚を模索したが話し合いは決裂。調停、裁判と進んで、ようやく親権をかちとって離婚した。

「妻が暴力をふるうと言っても、あまり周囲に信じてもらえないんですよね。精神科医の医者も頼りにならなかった。

 私がいちばん怖かったのは、子どもを人質にとられていること。だから妻を怒らせるようなことはしたくなかった」

 今は息子とふたり暮らし。忙しかった外資系企業を辞めて、友人と起業した。家でできる仕事も増えたが、12歳になった息子のほうが最近多忙だと笑う。

「でも時間があると息子とふたり旅をしています。この夏もふたりで自転車の旅をするつもり」

 サトシさんは、「過去のあの日々を思い返すだけで今も怖い」と最後にぼそっとつぶやいた。

<文/亀山早苗>

「友人にも妻にも話したことはない」離婚家庭の息子たちが明かす親子の関係

出典:令和元年5月30日 HUFFPOST

「友人にも妻にも話したことはない」離婚家庭の息子たちが明かす親子の関係

15万3600件。これは1988年、今から30年前の日本の離婚件数だ。婚姻件数が70万7716件なので、単純計算すると約21.7%の離婚率ということになる。
しかし、「親は二人」がまだまだ一般的な日本では、ひとり親家庭の親子関係はちょっと特殊とされる。もちろん、“親”なる存在がひとりきりだからである。
ひとり親家庭で育った子どもたちは、親とどんな関係を築くのだろうか。その当事者として、これまであまり語られることのなかった「母と子どもの関係」に注目し、女性編に続いて3人の男性に話を聞いた。
「こんなこと、友人にも妻にも話したことありませんよ。話したいことでもないし、話す機会もない」と、ある男性は語った。母との距離に人知れず悩む彼らの本音とはーー?

母との適切な距離は、最後までわからなかった

「結局、最後まで適切な距離感はわからないままでした」
7年前に亡くなった母親について、鈴本真二さん(仮名)はこう回顧する。
鈴本さんは、島根県生まれの41歳だ。両親が離婚したのは、小学校に上がる直前。母は、鈴本さんと3歳年上の姉きょうだいを連れて、実家に身を寄せた。
「よくある貧困母子家庭ですよ。母の帰宅は毎日夜中で、祖父母が親代わりでした」
「姉は中学に入って早々に非行の道へ走り、それを横目に見て育った僕は、小学校高学年からラジオや音楽、映画、雑誌、ゲームなどのカルチャーにどっぷりハマっていきました。放課後や休日は自宅に友だちを呼んで、自分にあてがわれていた家(母屋)の離れでたむろしていました」
中学時代は、街にある5軒のレンタル屋をめぐって映画のビデオをどっさり借り、それらを観て過ごすのが週末の楽しみだった。
「土曜日はもう一つ、大切にしていた時間がありました。深夜の12時半とか1時まで起きていて、仕事から帰宅した母親と、録画した『平成教育委員会』を観るんですよ。それが唯一の母との時間でしたね」
母は深夜まで働き、姉は不良仲間と外で遊び、鈴本さんは友人と濃密な時間を過ごす。それぞれが異なる世界で生きる鈴本さん家族が共有するのは、週に1度、1時間の『平成教育委員会』を一緒に観る時間だけだった。
しかし、そのつながりはあまりに危うく頼りなかった。鈴本さんは、ある些細なきっかけで家族との距離感を見失ってしまったのだ。
「ある夜、離れから母屋に戻ろうとしたときに、カギが締められていたんです。なぜだかすごくショックで、それから家族には心を閉ざすようになりました。誰がどんな意図でそうしたのかはわかりませんが、あの瞬間に家族とのつながりが切れてしまった」
暗闇でひとり立ち尽くした鈴本さんは同時に、「僕たち3人はやっぱりそれぞれが別々の人生を歩むんだな」と悟ったという。
「家族との関係をどうにかしなきゃとは思っていませんでした。当時はもう、血縁関係が嫌になっていて、友だちとの関係のほうがよっぽど濃いと考えてもいました」
高校卒業後は、18歳で上京。母親のことを憎いと思ったことはないが、母親とどう接するのがいいのか、何を話せばいいのかは、ずっとわからなかったと明かす。
「いつも『これをやっとけば喜ぶんだろうな』って他人事みたいな理由しか見つけられないんですよ。30歳で今の勤務先に入社したときも、『母でも知っている大手企業だし、息子が就職したら喜ぶだろうな』と思って報告しましたし」
事実、母は喜んでいた。とはいえ、鈴本さんが直接言葉をかけられたのではない。母の死後に、元同僚からそう聞かされたのだ。
「母にステージ4のすい臓がんが見つかったのは、僕が34歳のとき。当時は2週間に1回、田舎に帰っていました。それでも、僕はゆがんでいるんです。『顔を見せることがいいんじゃないか』と思ってきたくせに、弱った母の姿を見たくないから『行ったって仕方ないし』と地元の友だちと遊んでみたりしましたね」
母の闘病中は、『ワクチン治療に一縷の望みを託すべきだ』と母を説得し、治療費を出したりしたという。当時の彼女を連れて、結婚相手として紹介したりもした。すべては、そうしたいと望んだからだ。
「それでも、どこかで『息子だったらそうすべきなんじゃないか』『結婚という一般的な幸せを見せたらいいんじゃないか』と考える自分がいました」
一つひとつの言動は、彼を孝行息子に見せただろう。しかし内実は、彼は母との距離を最後まではかりかねていたのだ。
現在は、妻と二人で暮らしている鈴本さん。妻との関係は「家族というより個と個のつながり」だと話す。
鈴本さんは故郷を離れた地で、「血縁よりも濃い関係」が結べるかけがえのない相手を見つけた。

思春期、母親を「おばさん」と呼び始めた

田端弘さん(仮名)は、福岡県出身の44歳。両親が小学校低学年で別居し、10歳のときに離婚。思春期、彼は母親を「おばさん」と呼びはじめた。
「母ひとり、子ひとりの母子家庭だったので、精神的な部分での母子密着がすごかったんでしょうね。離婚のドタバタもあって小六まで一緒に寝ていましたし、小学生の頃は母親に強く依存していたと思います。でも思春期になって、そんな自分がすごく嫌になって……」
結果、自分と母親とを引き剥がすかのように使い始めたのが、「おばさん」という呼称だった。一方で、母親を理解したいという気持ちも強かった。
「母は、大手電機メーカーの正社員として勤務しながらも、高卒の一般職ゆえに会社では嫌な思いをすることが多かったのでしょう。会社から帰宅して、『悔しい』と泣くこともありました」
「そんな様子を見ていたからか、中学生ながらに社会学やフェミニズムに目覚め、宮台真司や上野千鶴子を読むように。『なぜ女性は女性だというだけで差別されなければならないのか』と考えたかったんだと思います。母親の苦労を言語化したい気持ちがあったんでしょう」
中学、高校に上がっても、家庭内に二人きりの密接な関係は続く。そのため、十分に心の距離が取れないまま、田端さんは相反するアンビバレントな思いを抱き続けた。
「何かと干渉してくる母親をウザいと感じながらも、“母親は自分だけに奉仕するもの”みたいな感覚は、ずっと持ち続けていたような気がします」
それは、いまだに続いている。
「いまでも、母親に相対すると思春期男子に戻ってしまうんですよね。素直になれなくて、『なんだよウザいな』みたいな接し方しかできない。一方で甘えも断ち切れていなくて、親は自分のことを愛していて当然だというような感覚もあるんです」
田端さんは、大学進学と同時に上京。故郷を離れてから今まで、母親との微妙な距離感は変わらないままだ。
たびたび電話をして『振り込め詐欺に気をつけろ』と忠告する一方で、年に1〜2回、一緒に行くと決めている国内旅行では、旅行代金をかなり多めに出してもらえるようせがんだりもする。
「でも、けんかばっかりしてるんですよ。いまだに、福岡にいたころのお互いの態度の問題で言い合いになって、電話を切ったりして。たまにオレは40にもなって何をやっているのだと思ったりもしますね(苦笑)」
「父親もいる家庭に育っていたら、思春期にもう少し母親と距離が取れて、今の関係も変わっていたのかもしれませんね。妻の方が、ときに受け流して、ときにおだてて、よっぽど僕の母親とうまくやっていますよ」と田端さんは話す。
彼は、いまも母親を「おばさん」と呼ぶ。
「事情を知らない周りの人には引かれるけど、特別な意味はないんですよ。急に『お母さん』とか呼んだら、母親ですら『何ね、あんた気持ち悪い』みたいなことを言うと思う」
母親との距離を取ろうと使い始めた「おばさん」。その呼称は、二人が積み重ねてきた不器用な愛情を示すようにも映った。

言えない本音は、すべて姉に打ち明けていた

東郷大地さんが遅れた反抗期を迎えたのは、大学生のことだ。
「高校時代まで、母は“唯一神”でした。逆らうことはもちろんなかったし、母の考えに違和感を抱いても『母が正しいはずだ』と自分に言い聞かせていた。母との関係が変わったのは、大学時代です。家を出て距離を置いたことで初めて母を相対化でき、母も1人の人間なんだと気がついた」
東郷さんは、山口県出身の25歳。3歳で両親が離婚。10歳年上の姉とともに母親に引き取られ、三人暮らしに。中学進学のタイミングで姉が家を出たため、思春期は母との二人暮らしだったという。父の記憶はほとんどない。
「中学校までは、無理をしてでも“いい息子”であろうと努めていました。母に金銭的、時間的負担をかけないようにと、いつも気を遣っていましたね。『勉強だけはしておきなさい』と言われていたので、真面目に学校に通っていて、成績も上位をキープしていました」
周囲は塾に通ったり、流行りのゲームで遊んだりしていたが、それらを母にねだることはなかった。ときに、さみしい気持ちを抑えることもあった。
そんな東郷さんを支えたのは、姉の存在だ。
「人に言えない本音は、すべて姉に打ち明けていました。さみしい気持ちも全部。姉とは、ずっとお互いに何でも話す関係なんですよ。中学までは週末に勉強を見てもらったりもしましたし、今でも頭が上がりません」
高校に進学してからも、母に報いたい、母を喜ばせたいという思いは途絶えなかった。それゆえ、自己主張はせず周囲と波風立てずに協調することをよしとする母の性格を、東郷さんは知らず知らずのうちに内面化していた。
「きっかけは、大学のゼミやサークル活動のなかで、自分には考えを伝えて人を動かすスキルが欠けているなと感じはじめたことでした」。東郷さんは転機を振り返る。
「例えば、アカペラサークルでライブを仕切る担当になったとき、僕は人の顔色ばかりうかがっていたんです。こうしたいという思いはあったけれど、それをどう伝えて、どうやって人を動かせばいいのかがわからなかったんですよね」

なぜだろう? その理由を考えた結果、はっと思い当たる。
絶対視していた母の考えは、ここでは通用しない。母が間違うこともある一人の人間なのだとわかったとき、東郷さんはあまりのギャップに苦しんだ。
だって、大好きな母が間違っているなんて思いたくない。
「以来、母をロジカルに詰めるようになりました。母に逆らったのは人生で初めてでしたね。単純に母親が間違っていることを指摘したい気持ちもあったけれど、とにかく母親を好きでいたいという気持ちで……」
母親が大好きだから、正しくいてほしい、好きでいられる母親でいてほしい。だからこそ、熱がこもりすぎることもあった。
「顔を合わせたときは、特に熱を帯びて。母も頑固なので、二人で何時間も議論することになるんですよ。帰省の際に夜中の3時ぐらいまで延々と話して、結局、あんまり理解してもらえずに『もういい!』って二階に上がる、みたいなことがあったり……」
母と本音でぶつかり合うようになった東郷さんは、今度は正論で母を言い負かした罪悪感に陥ったり、母親をストレスのはけ口にしているのではと悩んだりするようになった。
そんなときの相談相手は、やはり姉だった。
東郷さんは、「悩みを打ち明け合える姉という存在がなく、母親とずっと一対一だったら、どこかのタイミングで”モヤつき”をため込んでいたと思います」と回想する。
「過去を振り返ると、自分でもこじれそうな生育環境だよなと思うんです。でも、僕自身はいい育ち方をしたなと感じている。それは、僕たちが三人だったからかもしれませんよね。僕も姉も、互いを巻き込むことで、うまくガス抜きができていたのかもしれません」
東郷さんは、家族三人で暮らしていた時代、姉と母が言い合いをしている場面をよく覚えている。
「二人が口論になると、よく『大地はどう思う?』って話を振られたんですよ。その繰り返しで、僕たちは関係を良好に保ってきたのかもしれない」
東郷さんは、姉という相談相手がいたからこそ、真正面から母親と向き合うことができた。
昨年、姉の結婚式では、パートナーとの幸せそうな姿を見て、誰より号泣したそうだ。また一方で、「父に会ってみたい」という長年思い描いていた希望も実現させている。もちろん、母を大切に思う気持ちは変わりない。
同じひとり親家庭の親子関係でも、親と子の関わり合いの深さ、きょうだいやコミットする親戚の有無などによって、その家族のかたちはさまざまだ。
ただし、緩衝材になりうる人物がいるかいないかで、一対一の親子関係の風通しはかなり変わってくるのかもしれない。

一般的に、男性は家族のことをあまり語りたがらない。今回、インタビューに答えてくれる離婚家庭育ちの男性にめぐりあうまでは、長い道のりだった。
「人と深い関係を築くのが苦手なんでしょうね。普通はそういうのを家庭の中で学ぶんでしょうけど……」
取材中、鈴本さんが何気なく漏らしたこの言葉を、たびたび思い出す。
事実、家庭とは人間関係のトライアルアンドエラーの場なのだろう。しかし、男性からこんな言葉を聞いたのは初めてのことだった。
どこか心が満たされない“欠け”のようなものは、どんな人にもある。ただ、寡黙に強くたくましくあることを強いられがちな男性にとって、自らの“欠け”を抱いたまま生きる痛みは、女性のそれとは少し違うのかもしれない。
取材に応じてくれた3人の話を聞き、彼らが人知れず抱えてきた過去に、もう少し耳を傾けてみたいと感じた。
(取材・文:有馬ゆえ、編集:笹川かおり)

「国際結婚の離婚」が「親子関係の破綻」となってしまった理由

出典:令和元年5月24日 現代ビジネス

「国際結婚の離婚」が「親子関係の破綻」となってしまった理由

 結婚や離婚の取材を長年続けているライターの上條まゆみさん。「子どもがいる」ことで離婚に踏み切れなかったり、つらさを抱えていたりする人の多さに直面し、そこからどうやったら光が見えるのかを探るために、具体的な例をルポしていく。

 今回はアメリカ人男性と数年前に離婚した赤沢奈央さん(仮名・50歳)。アメリカ人の夫との離婚のあと、子どもに会えなくなっている女性の体験をご紹介しよう。

国際結婚件数が桁違いに増えていることに比例して、国際離婚件数も増加している。

国際結婚は増加の一途
 グローバル化の流れのなかで、国際結婚が増加している。1960年代は年間4~5千件、婚姻数全体に占める割合は1%前後であったのが、1980年代後半から増え始め、現在は年間2~3万件、3%前後で推移している。

 愛の前に、国籍の違いなど関係ない。それはそのとおりだが、夫婦関係が破綻し、いざ離婚となった場合、国際結婚ならではの問題に直面することもある。その一つが、子どもをめぐる争いだ。

 どちらの親が親権をもつか、面会交流はどうするか。国内結婚でも揉めるケースは多いが、国際結婚の場合は、より深刻な事態になりかねない。親権を得た外国籍の親が、国外へ子どもを連れて行ってしまう恐れがあるからだ。そうすると、日本に残された親は、思うように子どもに会えなくなる。しかし、単独親権、共同親権の問題は簡単に「黒か白」と言い切れる話ではない。

アメリカ人の夫と3年前に離婚
 50歳の赤沢奈央さんは、まさにその問題の渦中にいる。3年前にアメリカ人の元夫と離婚した奈央さんには、中学生になる娘が2人いるが、その親権は父親だ。

 上の娘は、いまは奈央さんと会おうとしない。発達障害の診断を受けており、考えが白か黒かの極端に偏りがちな特性から、「片親疎外(注)」の状態にあるのではないかと奈央さんは推測している。

 一方、下の娘は週に数回、交流している。奈央さん宅にごはんを食べに来たり、買い物に出かけたりなど、関係は良好だ。
しかし、元夫はまもなく娘2人を連れて、アメリカへ引っ越す予定だという。

 「元夫は、アメリカでの仕事が見つかりしだい、娘を連れて日本から引き上げると言っています。親権をめぐる裁判中は、『高校を卒業するまでは日本にいる』と約束したのに、です。でも、親権をもたない私には、それを止める術がない。それがいつなのか、もしかしたら既に仕事は決まっていて、明日にでも日本を発ってしまうのか。私は、その恐怖と闘いながら毎日を過ごしているのです」

注)片親疎外:両親の別居・離婚などにより、子どもと暮らしているほうの親が、もう一方の親に対するマイナスなイメージを子どもに吹き込み、結果として正当な理由もなく片親に会えなくさせている状況

国際結婚とハーグ条約
 こうした切ない状況の裏には、日本の親権制度と国際結婚ならではの問題がある。
アメリカなど欧米諸国では、一方の親が不当に子どもを連れ去ることは犯罪である。また、離婚後の子どもの親権は双方の親がもつ「共同親権」が原則なので、一方の親の了解を得ずに国外に連れて出ることはできない。「ハーグ条約」によって禁止されている。

 たとえば、アメリカで国際結婚をした日本人の妻が、離婚して子どもを日本に連れ帰ろうと思っても、子どもの共同親権者である夫がNO! と言えば、それはかなわない。

 一方で、日本国内での子どもの連れ去りは、あまり問題視されていない。結婚が破綻した際、妻が子どもを連れて実家に帰ってしまうなどというケースはいくらでもある。子どもを連れ去った側の親が「監護の継続性」の名のもとに親権を得るケースが多いことから、裁判所によって半ば容認されているとすら言える。 

 実は、先進国において、離婚後の子どもの親権をどちらか一方の親だけがもつ「単独親権」なのは日本だけだ。欧米諸国をはじめ韓国、中国などでも、離婚後の子どもの親権は「共同親権」、あるいは「単独親権」との選択制を採用している。

 つまり、日本も欧米諸国同様、「共同親権」であったなら、奈央さんの元夫は娘を連れて海外移住できない。「ハーグ条約」に引っかかる。

 子どもの居住地を決めるのは親権者だから、日本国内においても遠く引っ越してしまう可能性はあるが、日本の法に基づいて居住先を探すこともできるし、その気になれば追いかけて近くに住むこともできる。しかし、国外となると、ハードルは格段に高くなる。実際、昨年子の親権を同様に片親疎外で奪われて、相手親と子の海外移住を止められなかったもう一人の女性は、現在その子との連絡が全くとれず、安否さえもわからない状態に陥っている。海外に探しに行く予定だが、そうしても見つかる保証もない。
正社員になる約束を守らなかった
 奈央さんが元夫と知り合ったのは、20代前半。エンジニアとして会社勤めをしていた。3つ年上の元夫は外資系金融会社の契約社員で、日本に働きに来ていた。3年間の交際後、日本で結婚、そのまま日本に住んだ。

 しばらくは、それぞれの仕事に没頭して過ごした。30代後半になり、「子どもを産むならタイムリミットだ」と子どもをつくった。2歳違いで、2人の娘に恵まれた。

 「保育園に預けても、子どもは熱を出したりしますよね。それで夫婦で話し合い、私が在宅勤務に切り替えて子どものケアをすること、彼は一家の大黒柱として正社員の職を探すことを約束しました」

 しかし、元夫はその約束を守らなかった。奈央さんは不満が募り、苛立ち、そして口論が増えた。2人の仲は、みるみる崩れていった。

 「私は地方出身で、まわりに男尊女卑的な考え方をする人が多かったので、男女平等に徹する元夫がはじめは新鮮でした。でも、それは裏を返せば、頼り甲斐がないということ。子どもが生まれたというのに、自分が家庭を支えるという意識がないと感じてしまったんです」

 ある日、何度目かの大げんかをきっかけに、元夫は1人で家を出ていった。それでもほぼ毎日、家に来て朝ごはんを食べ、娘たちを保育園に送って行った。 

 子どもを真ん中に、両親それぞれが子育てにかかわる。娘たちが小学生になっても、こうしたゆるやかな別居生活は続いた。奈央さんは、子育てが終わるまではこのままでいい、と思っていた。ところが。

 「夏休みに10日ほど娘を預けたら、それっきり返してくれなかったんです。娘たちによれば、『ママと住んだら、もうパパには会えなくなる』と言われたそうです。幼かった娘たちはその言葉を信じてしまい、『ママにもパパにも会い続けるために、パパの家に住む』と。そんなことはないよと説得しても聞かず、会っても夜には元夫の家に帰ってしまうようになりました。そのうち、上の娘は私を避けるようになりました」

 性格の不一致を理由に、離婚裁判をおこされた。奈央さんは、離婚まではしたくなかった。子どものために、なんとか修復したかった。しかし、元夫は離婚を譲らない。
原審では、「子の真の望みは両親との近居である」として、離婚判決とともに、奈央さんが親権を得た。しかし、親権を求めて控訴された。その時点で娘たちが父親とともに暮らしていることから「監護の継続性」を主張され、杓子定規の判決しか出さないことで有名な高裁で親権はあちらに渡ってしまった。

 元夫は、離婚成立から数カ月後に、海外在住の女性と再婚した。

会えるのは、近くに住んでいるからなのに
 「親権がどちらであっても、下の娘とはこうして会えている。上の娘とも、時間をかけて関係を紡いでいくつもり。でも、それができるのは、近くに住んでいるから。そもそも高裁の判決は、『子どもが高校を卒業するまでは日本にいる』ことを前提に出されたものなのですから、そこは子のために守るのが親としての務めであるはずです」

 そこで、奈央さんはいま、親権者変更調停を裁判所に申し立てている。しかし、いったん決まった親権者を裁判所が覆すことは、命の危険でもない限り難しい。

 ただ、覆る可能性があるとすれば、海外からの動きだ。2018年、EU各国から日本の法務大臣宛に、子どもの連れ去りに抗議する書簡が出された。それを受けて、日本でも子どもの連れ去りに対する目がきびしくなれば、もしかしたら奈央さんの判決にも影響があるかもしれない。

 実はいま、日本でも「共同親権」を取り入れるべきだとの動きがある。法務省では、共同親権の導入について、すでに本格的な検討を始めている。ただし、虐待親から子どもを守るにはどうするのかなど繊細な問題は多い。

「親権は子どもを守り育てるための権利であるはずだが、現在の単独親権では一人の親のエゴを行使する権利として濫用されかねない。子どもには両方の親の愛を受けて育つ権利がある。親の離婚によって、子どもが片方の親との関係を失うなどということがあってよいのでしょうか」 奈央さんの問いは、元夫との関係性を超えて、国の法制度に向けられている。

親の離婚後も、子どもが 日仏の文化を享受できるように。

出典:令和元年5月19日 Ovni

親の離婚後も、子どもが 日仏の文化を享受できるように。

リシャール・ユングさん
日仏間「夫婦間のこどもの連れ去り」に取り組むフランス上院議員

 今年3月、国営テレビ局・フランス2は「Japon, les enfants kidnappés/日本、誘拐された子どもたち」というドキュメンタリーを放映した。そこでは、フランスで一緒に暮らしていた日本人パートナーが娘と日本に行ったきり戻ってこなくなったため、日本へ赴くフランス人男性を追っていた。彼は日本で元パートナーに娘との面会を拒否される。フランス法廷では2週間に1回の面会とバカンス期間の半分を子と過ごすことが認められたのに、日本ではその判決が効力を持たず、なす術がない状態だ。
 もう一人のフランス人は日本在住だ。予告なしに日本人パートナーが息子といなくなった。息子の居場所はわからないが、誕生日には息子の祖母の家にプレゼントを届けに行く。しかし受け取ってもらえない。裁判では月に4時間の面会が認められているが、それさえ拒否され、玄関先で面会の権利を主張し続けた挙句、警察に連行されてしまう…。
 日本は2014年に「ハーグ条約」を批准した。これは、一方の親がもう片方の親の同意なしに加盟国間の国境を越えて16歳未満の子どもを連れ去った場合は、子どもが元いた国に戻すことを定めた条約だ。例えばフランスに住む日仏カップルの片親が、もう片方の親の同意なく日本に子どもを連れ去った場合、子はフランスに返されなければならない。ところが日本では、それが必ずしも実行されていないことが、長い間、外国から問題視されてきた。
 フランスでこの問題に取り組んでいるのが、リシャール・ユング上院議員だ。フランス国外に居住するフランス人の代表として議員に就任した2004年に「子どもの連れ去り」の被害者団体から手紙を受け取った。それから15年間、毎年日本の国会や外務省、法務省などに赴いている。
「日本文化に根ざした問題なので、解決には時間がかかります。例えば日本では母親が子どもを育て、父親は口を出さない慣習があります」。フランスでは家庭内暴力(DV)などの場合を除いては夫婦が別れた後も共同親権となるが、日本は単独親権制(母親に親権が与えられるケースが8割)をとってきたこともあり、一人の親がもう片方の親の同意なく子どもを連れて出て行っても罪の意識は薄い。しかしながらフランスでは「誘拐」とみなされるなど、認識にズレがある。さらに、連れ去った親でも時間稼ぎをすれば「継続性の原則」が認められることが多いという。つまり、母親が子どもを連れ去り、子どもがその生活に慣れたら、その生活から子どもを引き離さず「継続させる」ことが優先されるのだ。また偽装DVで相手を子どもに近付かせないケースも見られるという。
 現在、子どもを日本人のパートナーに連れ去られたフランス人は50~60人ほど。しかし、これは日仏間の連れ去りで、日本国内での連れ去りは数に入っていない。今後は、日本国内の実情も把握できるようにしたい、とユングさん。子どもの連れ去りに関して日仏の司法が協力しやすくなるよう、フランス大使館に司法官を配置したり、日仏諮問委員会を作ることなども、フランスの法務・外務大臣に提案している。連れ去りで子どもに会えないアメリカ人は400人という数字には程遠いが、連れ去りはフランス以外の欧州の国からも問題視されていたため、欧州26カ国の大使は、昨年、上川陽子前法務大臣に対して状況改善の誓願書を送っている。
 日本のハーグ条約批准5年を機に、3月8日、子を連れ去られた親数名、仏外務省、法務省、国会議員、プレスなどを上院に招いて会議を行なった。子どもを連れ去られた人たちの状況は5年前とさほど変わっていないが、仏司法関係者との対話の機会を作るために日本の民法の専門家をフランスに招請することに日本が好意的だったり、今月になって日本の法務省が共同親権制度の導入を検討する意向であると報じられるなど、進展もみられるようだ。
 「日仏ふたつの文化や言語に触れられるのは子どもにとって豊かな経験です。親は、相手との別れによる傷を乗り越えて、子どもたちが日仏ふたりの親と彼らの文化を享受できるようにしてほしい。自分の子に会えないでいる日本の父親たちが抗議するようになったら、状況は変わってゆくのではないでしょうか」。(六)
 

離婚後も父母双方が「共同親権」導入 時間かけ検討へ 法務省

出典:令和元年5月19日 NHK

離婚後も父母双方が「共同親権」導入 時間かけ検討へ 法務省

離婚したあとも父母の双方が子どもの親権を持つ「共同親権」について、法務省は夏以降、海外の制度を参考にして導入の是非を時間をかけて検討していく方針です。
離婚したあとの親権は、日本では父母のいずれかが持つ「単独親権」が民法に規定されている一方、海外の先進国では父母の双方が持つ「共同親権」が主流となっています。

法務省はアメリカフランスなど欧米を中心とした24か国を対象に、親権制度の仕組みや運用の状況などの調査を進めています。

調査は7月ごろまで行い、その後、結果を参考にして共同親権の導入の是非を検討していくことにしています。

共同親権をめぐっては、導入されれば親子間の完全な断絶を防いで養育環境を作ることで子どもの心理的な負担を減らすことができるという指摘や、養育費の支払いが円滑化されるといった期待があります。

一方で父母の関係が良好でない場合には進学先などを決める際に対立して合意が得られず、結果的に子どもの利益を害するおそれがあるなど、課題も少なくありません。

夏以降の検討でもこうした点が議論になることが予想され、法務省は時間をかけて検討を進める方針です。

「共同親権」導入の是非検討 米仏など海外での制度調査

出典:令和元年5月17日 NHK

「共同親権」導入の是非検討 米仏など海外での制度調査
離婚したあとも父母の双方が子どもの親権を持つ「共同親権」について、法務省は導入の是非を検討するため、アメリカフランスなど海外の親権制度の調査を始めました。
離婚したあとの親権について、日本では父母のいずれかが親権を持つ「単独親権」が民法に規定されている一方、海外の先進国では父母の双方が親権を持つ「共同親権」が主流になっています。

こうした中で、法務省はアメリカフランスドイツなど欧米を中心とした24か国を対象に、親権制度の調査を始めました。

調査は7月ごろまで行われ、各国の制度の仕組みや「共同親権」を導入している国でのメリットやデメリットなど、具体的な運用状況も調べて、「共同親権」の導入の是非を検討していくということです。

山下法務大臣は「調査で得られた海外の運用状況も参考にしながら、離婚後の親権制度の在り方について、引き続き検討していきたい」と述べました。

離婚での子引き渡し手続き明確に 改正民事執行法が成立

出典:令和元年5月10日 共同通信

離婚での子引き渡し手続き明確に 改正民事執行法が成立
 離婚に伴う子どもの引き渡し手続きを明確化した改正民事執行法が10日、参院本会議で全会一致により可決、成立した。裁判所に引き渡しを命じられた親が現場にいなくても、引き取る側の親がいれば、執行官が強制的に子どもを引き渡せるようになる。改正法は一部を除き、公布から1年以内に施行される。
 国境を越えて連れ去られた子どもの取り扱いを定めた「ハーグ条約」に基づく国内ルール、ハーグ条約実施法も同様に改正。一方の親が母国などに子どもを連れ帰った際の迅速な問題解決につながることが期待される。
 改正前は差し押さえなどの規定で運用し、子どもを物扱いしていると批判があった。
 

共同親権制度の導入可否検討へ 法務省、7月末までに各国調査

出典:令和元年5月9日 共同通信

共同親権制度の導入可否検討へ 法務省、7月末までに各国調査

 法務省が、離婚後も父母の双方が子どもの親権を持つ「共同親権制度」導入可否の検討に入ることが9日、同省への取材で分かった。現行民法の規定は父母の一方を親権者に定める「単独親権」だが、双方が養育に責任を持つ共同親権を選べるようにすべきだとの意見がある。ただ異論も根強く、検討に先立ち、法務省は外務省を通じて7月末までに24カ国の制度を調査し、問題点を整理する方針だ。
 民法は親権について「婚姻中は父母が共同して行う」と規定。協議離婚の場合は協議で、裁判を経た離婚では裁判所が、父母の一方を親権者と定めるとしている。

子の連れ戻し迅速化/親不在でも可能に ハーグ条約対応、法案が衆院通過 居場所特定なお課題

出典:平成31年4月17日 日経新聞

子の連れ戻し迅速化/親不在でも可能に ハーグ条約対応、法案が衆院通過 居場所特定なお課題

国際結婚の破綻で一方の親が母国に連れ帰った子供を元の国に迅速に連れ戻せるようにする民事執行法改正案が16日の衆院本会議で全会一致で可決、参院に送付された。今国会成立は確実な情勢だ。子供の所在地がわからなくなっている場合、どのように特定するかなどの課題も残る。

子供を連れ戻すルールは、日本が2014年に加盟したハーグ条約に「強制執行」の手続きが定められている。強制執行は裁判所が引き渡しを命じた場合、家庭裁判所の執行官が代わりに子を保護する仕組みだ。
今回の改正案はこの手続きを迅速にする。引き渡しに応じない親に制裁金などを科して促しても応じないとみられる場合、一定期間を待たずに連れ戻しを認める。
保護する際、引き渡しを命じられた親が立ち会わなくても、申し立てた親がいればできるようにする規定もつくる。
制裁金などを科す「間接強制」の手続きを経なくても強制執行できるようになることから、子供を連れ戻す手続きの実効性は高まるといえる。
ハーグ条約への対応をめぐっては、米国務省が昨年5月に日本を「効果的な執行策がとられていない」とし、同条約の「不履行国」と認定していた。
課題は残る。その一つが子供の所在が特定できない場合への対応だ。連れ戻すのは容易ではない。国際離婚などが専門の本田正幸弁護士は「(今回の法改正は)子の所在が特定されていることが前提になっている」と指摘する。英国など欧米では捜査機関と連携している例もあるという。「制度のさらなる整備が必要不可欠だ」と語る。
子供の心身への配慮も欠かせない。衆院法務委員会での法案審議で、法務省は児童心理専門家が執行補助者として保護する場に立ち会えるとの見解を示した。
家族法が専門の早稲田大の棚村政行教授は「子の返還が実現しないケースが残れば再び米国に指摘されるだろう」と話す。
改正案は成立から1年以内に施行される。詳細な運用ルールにあたる最高裁判所規則を定める手続きも必要になる。

離婚後親権の運用実態、24カ国調査へ 法務省

出典:平成31年4月17日 産経新聞

離婚後親権の運用実態、24カ国調査へ 法務省

 離婚後も両親ともに子供の親権を持つ「共同親権」に関し、法務省は17日の衆院法務委員会で、外務省を通じ世界24カ国での離婚後親権制度の運用実態を調査すると明らかにした。7月末までをメドに調査を行い、共同親権を取った場合の問題点などを整理する。
 日本維新の会の串田誠一氏への答弁。法務省は平成26年度にも外部委託で制度調査を行ったが対象は9カ国だった。今回は共同親権の多い欧米だけでなく、インドなど単独親権国も含め東南アジアや中東、南米まで広く調べ、父母が対立して裁判所が調整を行う事例や、調整の平均所要日数なども調査するとした。
 日本は民法で単独親権を取っており、父母対立が子供の養育に影響するおそれがあるため、政府は共同親権は「慎重に検討する必要がある」(安倍晋三首相)との姿勢を崩していない。
 ただ近年、国際結婚の増加で離婚後に国境をまたいでトラブルになるケースがあるほか、離婚しても父母双方が養育に責任を負うようにするべきだとの声もあり、昨年7月には当時の上川陽子法相が「親子法制の諸課題について、単独親権制度の見直しも含めて広く検討していきたい」と述べ、共同親権との選択制などの検討を示唆していた。

 
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更新 2019-07-15 (月) 12:08:04
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